カテゴリ:関西の小説と映画( 28 )

「仏果を得ず」三浦しをん

 今思い起こしても、2年間の大阪暮らしで最も後悔していることの一つは、国立文楽劇場で文楽を観なかったこと。在阪当時なら、不世出の人形遣いとされた吉田玉男と吉田蓑助のコンビを観る機会だってあったはずだし…。「いつでも行けるし」と暢気に構えるうちに、機会を逸してしまったのは、返す返すも悔しいことです。
 最近、双葉社文庫から出た「仏果を得ず」は、文楽の役どころの中でも義太夫語りに打ち込む若手太夫を主役に据えた青春小説です。数ある名作をちりばめた物語の展開も見事というほかないのですが、それよりも何よりも、大阪に住んだことのない作者が、大阪の空気を実にきっちりと捕らえているのが驚きでした。
 三浦しをん、只者じゃありません。20代で直木賞に輝いた数少ない作家だけのことはあります。
 それと、僕はイヤホンガイドの愛用者ですが、たまには全くなしで直観的に楽しむ方が、特に太夫の語りや三味線の味わいを知るにはいいのかもしれません。そう思わせられた小説です。
9月にはエッセー「あやつられ文楽鑑賞」も双葉社文庫から出版されるそうですが、待ち遠しい気がします。といっても数日のことですけどね。
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by maruyamamasaki | 2011-08-30 23:09 | 関西の小説と映画

映画「細雪」

 7月23日(月)
 DVD「細雪」と書くべきでしょうか。もう24年も前の映画だし、劇場で観たわけでもないし。しかし、在阪当時から観たい観たいと思っていた本作を、船橋のtsutayaで見つけた時は本当に嬉しかった。
 あれだけの大作を2時間ちょっとで収めるとなると、かなり大ナタを振るわざるを得ないのですが、そう思って観ればまず勘弁できる範囲でまとまっていると思います。水害の場面は入れて欲しかったけど。
 評論家の川本三郎氏は「中央公論」の連載「細雪とその時代」で、さまざまな登場人物にスポットライトを当てて、その人物像を分析していました。読んでいると、お手伝いの「お春どん」だってその魅力を再認識させられる秀作です。
 それだけに、誰が「細雪」の真の主役なのか、小説でもよくわかりません。一読した身としては、二女の幸子さんだと思っています。映画では佐久間良子さんでしたが、四姉妹の中でこのキャストだけがちょっとなじめませんでした。ほかの三人がイメージにピッタリだっただけに・・・。じゃ誰ならいいのかって言われると、八千草薫さんとかかなあ。年齢関係を考えずに挙げれば。
 一方で、若き日の桂小米朝師匠の「啓ぼん」は、この人以外に考えられないほどのはまり役。最終的に雪子さんが婚約する華族役のエモやんはどうして出ていたんだろう?
 平安神宮の紅枝垂桜、嵯峨野の紅葉、贅を尽くした着物、などなど、映像美はまさしく眼福でした。もうリメイクは無理かもしれません。
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by maruyamamasaki | 2007-07-25 22:06 | 関西の小説と映画

浅田次郎「輪違屋糸里」

 4月25日(水)
 先月、文庫化したのを待って、ようやく読了。単行本で出版されたのは3年前の今頃、上方暮らしが面白くてたまらず。出向期間を1年延ばそうと決心した時期でした。
 京都・島原に、「輪違屋」という今も続く置屋があるのを知ったのは、その1か月ほど前のこと。その名を冠した小説ですから、出版当時にすぐ読まない手はありませんでした。
 あえてそれをしなかったのは、浅田次郎氏の小説は泣かされるのがわかっていたから。直木賞を受ける前だったか、本人が「泣かせようと思って書いている」と言ってるのを読んだことがあります。確かに、読むと泣かされるのだけど、泣かせるために書いた小説なんて、一時の快を得る以外に何の意味がある? とりわけ歴史小説のような半フィクションでは、泣くよりも、描かれる人物像や事件の解釈こそが読みどころのはず。
 である以上、「輪違屋糸里」は歴史小説として一定の評価が固まってから読めばいいと、3年前の僕は思ったのです。決してお金をケチった訳では、ね。
 しかし、やはり上方の空気の中で読めばよかったかと、いささか後悔気味です。3年前はNHKで「新選組!」が放映されており、突飛な設定こそあれ、個々の人物像の描き方は至ってオーソドックスだった三谷幸喜「新選組!」と、斬新的な人物解釈をした浅田「新選組」の対比を楽しめたはずだし。
 この文春文庫版で特によかったのは、末國善己氏による「解説」。歴史小説としての意義付けから、クライマックスを前に物語りに夢中になる辺りで張られていた伏線の指摘など、読後、大いに頷かされる点がいくつもありました。小説の解説としては出色だと思います。
 秋にはTBS系でドラマ化ですか。「新選組!」にハマり役が多かった(その前のドラマと映画の「壬生義士伝」もそうですが)だけに、主演の上戸彩も土方歳三役の伊藤英明も、これら直近作のイメージ打破は大変かもしれません。しかし、「海猿」でNHKドラマの国分太一とは別の主役イメージを確立した伊藤英明のことですから、ここも山本耕史とは違った土方を見せてくれるのを期待したいものです。
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 現在も営業している輪違屋(2004年3月撮影)。文庫下巻収録の浅田氏と輪違屋のご主人の対談も興味深い
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by maruyamamasaki | 2007-04-25 20:51 | 関西の小説と映画

「寝ずの番」

 5月1日(月)
 仕事帰りに錦糸町で下車し、楽天地シネマで観た映画。東京での出来事をここに記すのは何だけど、舞台が上方なので、敢えて。
 この映画を観ようと思ったわけは、
 1私かに尊敬している方の日記を読んで少し興味を持った
 2今の職場では現に月3回の「不寝番」勤務があり、タイトルに親近感が湧いた
 3入場料の安い「映画の日」を無駄にしたくなかった
の三つ。多くを期待してはいなかったのですが、これがまた実によかったのでした。
 「寝ずの番」とはお通夜の晩を故人の側で過ごす人のこと。上方落語の重鎮である噺家の今際の際に始まり、その寝ずの番をする家族や弟子たちが繰り広げる四方山話が、エッチなことばかりでとにかく爆笑の連続。それでいて、ただ面白かっただけの話になっていないのが流石。個人的には、上方暮らしのおかげで会話に出てくる地名がどこだかわかるのもよかったです。
 ちょい役は大スターばかりで、メーンキャストは皆芸達者。それにしても、表面的には下品に徹したこの映画に出ることに、ためらいはなかったのでしょうか。
 思い出すのは、在阪当時、何度か京都を案内してもらった静岡在住のMさんと、下北沢・本多劇場で加藤健一主演のコメディーを観た時のこと。加藤氏と懇意のMさんに連れられ、楽屋でお会いした加藤氏は、「『審判』のようなシリアスな芝居ばかりが続くと、無性にコメディーをやりたくなるんですよ」とおっしゃっていました。
 キャストの皆さん、どっかしらこうした心境があったのかなあ。
 「寝ずの番」公式サイトはこちらですが、アクセスするとすぐに音声入りの予告編が始まります。くれぐれも勤務先やご家族のいる場所などでご覧にならぬよう。 この忠告を無視していかなる損害が生じたとしても、それは自己責任ですよ。
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 映画で語られるエピソードに出てくる「桜宮(さくらのみや)」は大阪市内を流れる大川の東岸で、ラブホテルが多い(=写真、2005年4月撮影)。本来は文字通りの桜の名所。のどかな雰囲気はFromOSAKA 通り抜け番外編~大川沿いの春景で感じられます。
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by maruyamamasaki | 2006-05-02 01:07 | 関西の小説と映画

「新史太閤記」

 10月23日(日)
 今朝の読売新聞1面に「政府系8金融機関のうち少なくとも6機関を一つの新金融機関に集約」という記事が出ていました。ポスト郵政民営化、つまり郵便貯金などの資金が流れ込む先の方も整理して、「小さな政府」を実現するのが狙い。
 これに関し、「AERA」10月24日号で朝日新聞の山田厚史編集委員は「一つの機関にまとめたところで、元の各機関がただぶら下がっているだけなら、改革の実をなすとは言えない」といった趣旨のコラムを書いていました。政府系金融機関は高級官僚の天下り先。改革でそれを失っては困るので、「一つにまとめた」ということで首相の顔を立て、各金融機関の機能、露骨に言えばポストを残せれば万々歳ってわけ。わかりやすい構図です。
 中曽根康弘・元首相が、総選挙後にどこかの新聞で「昔の政治はもっと深みがあった」と書いていました。本当にそうだったのかはともかく、今の改革論議が割と浅い点は政府系金融機関の統合問題に表れていると思います。
 司馬遼太郎氏の「新史太閤記」は、先だっての城巡り旅行の友。小説としての面白さは、吉川英治の「新書太閤記」の方がずっと上だと思いますが、これは新史が上下2巻なのに対し、新書は8巻ぐらいあったからやむを得ないところ。
 新史でさすがなのは、下巻の山崎の合戦から賤ヶ岳の合戦に至るまでの、秀吉の政治的な駆け引きの描き方。今の時代も、秀吉がしたように、後から解説してもらわないとわからないほど多層的な手を打つような政治だと、見ている側も面白いのですが。
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 教科書などによく載っているこの秀吉の肖像画(リーフレットの複写)が、宇和島市立伊達博物館の所蔵品だとは知らなかった
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by maruyamamasaki | 2005-10-23 18:33 | 関西の小説と映画

映画「ぼんち」

 10月16日(日)
 山崎豊子氏の小説「ぼんち」は、船場の足袋問屋の旦那が商いに障りのない範囲で女遍歴を重ねる物語でしたが、いかんせん戦前の話が大半なので、情景を思い浮かべにくい。
 9月の下旬、たまたま立ち寄った大阪市中央公会堂で、「ぼんち」など文芸映画の上映会の案内を手にし、泊まり明けで睡眠不足ながら天王寺公園映像館へ直行。正しくは優秀映画鑑賞事業というイベントで、各都道府県で来年3月まで行われています。
 映画「ぼんち」は1960年に製作され、監督・市川昆、主演・市川雷蔵。妻役の中村玉緒のほか、遍歴を重ねた女性たちが京マチ子、若尾文子、越路吹雪、草笛光子と、超豪華キャスト。今じゃ亡くなってたりおばあちゃんだったりしますが、45年前だから皆さん、実に美しいこと。
 昭和35年当時での回想という形をとっていますが、冒頭で「船場はなくなってしもうた」と主人公がつぶやくほどだから、高度成長が始まった頃には往年の船場の雰囲気は失われていたんでしょう。ただ、女性陣の着物や帯の美しさは素人目にもよくわかり、当時はいいものがふんだんにあったのがよくわかります。
 上映後に在阪の映画評論家、武部好伸氏のトークショーがあり、「ぼんち」の撮影中、太秦を訪れた山崎氏が「原作と大きく異なっており、製作を中止してほしい」と市川監督に強く申し入れたエピソードを紹介してくれました。結局はうやむやになったとのことですが、今回見た限り、7割がた原作は生かされていると思います。回想段階で主人公が没落しており、「ぼんちにはなりきれなかった人」と評されたこと(いずれも原作にはない話)が、山崎氏には気に食わなかったのでしょうか。
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 暑い西日を受ける天王寺公園の噴水前。大阪の夏日もそろそろ終わりかな。
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by maruyamamasaki | 2005-10-17 11:49 | 関西の小説と映画

「東福門院和子の涙」

 10月10日(月)
 しばらく前、新聞の書評欄で宮尾登美子氏のインタビュー記事を読んだせいか、書店で何となく選んだ一冊。
 東福門院和子(まさこ、と読むんだそうです)は徳川秀忠の娘であり、後水尾天皇の中宮として、江戸期唯一の女帝・明正天皇の母となった人ですが、物語は和子の生涯にわたって従った女性の語りで進められます。江戸城や禁中でのしきたりや暮らしぶりなど、よくまあ詳しく調べたものだと感心せずにはいられません。
 それにしても、後水尾天皇・上皇の子が33人とは。すく死んじゃう子も結構いたから、皇統を絶やさないためにはそうせざるを得ないんでしょう。今日の皇位継承権問題、女帝を認めるのもいいとして、少しは側室?論議もしてやったらどうなんでしょうか。まじめな話。
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 和子の母・お江の方も祀られている柴田神社内の三姉妹神社(福井市)
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by maruyamamasaki | 2005-10-10 14:26 | 関西の小説と映画

「大阪をつくった男」

 9月6日(火)
 中学・高校時代には、川上宗薫氏や宇野鴻一郎氏がスポーツ新聞に官能小説を連載していました。しかし、当時の僕が一番そそられたのは両大家ではなく、阿部牧郎氏の作品でした。この手の小説につきまとう、主人公の男が何かと金回りがよかったりするご都合主義的な面が割と少なかった分、リアリティーを感じたような覚えがあります。
 そんなわけで、僕にとっての「大阪を代表する作家」は、開高健氏でも藤本義一氏でも、田辺聖子氏でも高村薫氏でもなく、阿部牧郎氏です。
 先日、自宅近くの「大阪本の宝庫」で、阿部氏の表題作を発見。しかし宝庫は貸し出しをしていないため、市立図書館で借りて読み終えたのでした。純然たる歴史小説で、エッチな場面はほんの少ししかありません。
 主人公は五代友厚。教科書の知識では、北海道開拓使払い下げ事件で顔を出す政商=薩摩閥を利用して大儲けした人=近代日本最初の悪い人、ってなイメージでしょうか。
 ところが、大阪では銅像が二つも立っています。それも活躍の地と郷里とかではなく、地下鉄で1駅しか離れていない場所に。それぞれ大阪証券取引所と大阪商工会議所の前ですから、商都にあって今なお特別な尊敬を得ている存在です。
 造幣局の誘致をはじめ、大阪の近代化にかかわった業績の数々を読むと、五代は政商イメージよりも、渋沢栄一と並ぶ資本主義の指導者という評価がふさわしい気がします。そのほか、この小説で印象深かったのは、海援隊(亀山社中)における近藤長次郎切腹事件での陸奥陽之助の描写でした。「竜馬が行く」に比べると、後の外相・宗光らしさが随所に表れています。もちろん、こういう描写は後で書かれた歴史小説の方が優位なのは否めません。
 話が変わりますが、来阪以来、どうしても解けない謎の一つに「大阪人(京都人も)は狭い道ばかり歩いているのに、どうしてよけない(道を譲らない)のか」というのがあります。東京だと、対向していてぶつかりそうだと、互いに半身になって接触を避けるのは当然とるべき所作ですが、大阪人はこれをまずしません。
 このことについて、阿部氏は小説の中でこう述べています。
 「・・・道幅がせまく、ゆきかう人々の腕がふれあう。男と女がしぜんに仲よくなるようにできている。」
 官能小説の名手と、不粋な僕とでは、かくも発想が違うのだろうか。
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 こちらは昨年11月にオープンした大阪証券取引所ビル前に立つ五代友厚像
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by maruyamamasaki | 2005-09-06 19:52 | 関西の小説と映画

「櫻守」

 8月29日(月)
 関西の人のおしゃべりを聞いていると、「わかる?」「わかるか?」と、いちいち確かめるのをよく耳にします。東日本ではまずないと言ってもいい、会話上の習癖でしょう。
 当地へ来たばかりの頃は、この手の人と話すと、「わかる?」が飛び出す度に「くどいなあ」と思ったものです。慣れたせいもあるけど、今ではこの「わかる?」は文字通りの確認質問ではなく、話し続けるうえで間を取るというか、調子を整えるために言ってるのでは、と感じています。
 昨日、電車の中で読み終えた水上勉氏の「櫻守」(新潮文庫)は、桜を愛した庭師の生涯を描いた物語。ソメイヨシノ偏重主義は日本の桜本来のありようではないことや、「人の手の入らない自然保護はありえない」といった考えを、30年以上前に示していたのは、ソメイヨシノ一色の桜山に何の疑問も持っていなかった僕にしてみれば、驚きではあります。
 それはともかく、この小説の中には庭師同士の会話などで「わかるか」が、ちょくちょく出てきます。「細雪」には「わかる?」は、ほとんど出て来なかったと思います。この違いは、「細雪」の会話は大半が女性同士であるせいではなく、関東人の谷崎潤一郎には使いこなしきれなかったけれども、関西弁で生まれ育った水上勉は生かせたのではないかと思うのですが、考え過ぎかな。
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 うちから見た今日の日暮れ。まだまだ暑いけど雲は秋っぽくなってきました。
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by maruyamamasaki | 2005-08-29 21:36 | 関西の小説と映画

「道頓堀川」

a0010524_1224955.jpg 8月14日(日)
 もともと小説をあまり読まないので、戦後生まれの作家となるとさっぱり・・・。村上春樹氏の作品さえほとんど手つかず。その割に数冊は読んだのは宮本輝氏で、今回も何となく手にしたのでした。
 昭和44年頃の話ながら、学園紛争も出てこなければ、大阪万博を控えた雰囲気もありません。時代背景に縛られる面が少なく、ストーリーを全くそのまま、今の話としても通じるんじゃないかと思えます。
 その理由として、日常と遠くない世界を描く氏の巧みさはもちろん、道頓堀界隈のイメージが固着化しているせいもあると思います。道頓堀といえば、戎橋とグリコのネオン(=写真)が思い浮かびますが、多少の違いはあっても風景の構成要素は30年来変わっていないとの印象が強い人は多いでしょう。
 そういう場所を舞台にした小説だけに、今でもちょっと探せば「リバー」という喫茶店が見つかり、賭けビリヤードに生きる男も歩いていそうな気がすると思うのです。
 話が変わりますが、見れば面白いのかもしれないけど、TBS系で放映中の「女系家族」を見る気がしないのは、舞台を東京に変えたせい。船場という独特の雰囲気抜きでは、原作の面白さが半減しているのでは。「大阪愛」を公言して止まない山崎豊子氏が、なぜこのような換骨奪胎を許したのか、腑に落ちないことです。
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by maruyamamasaki | 2005-08-14 13:09 | 関西の小説と映画