人気ブログランキング | 話題のタグを見る

その後のあれこれ

 9月15日(土)
 「祈りのかたち」の公演が終わった後、凄腕美女・・・そろそろくどくなってきたので、ここから先はPさんとしますが、そのPさんの飲み仲間の会に飛び入りさせていただくことになった。
 お仲間の一人が国立文楽劇場の方で、楽屋をはじめ普通は見られないバックステージを見学させていただいた。「いいんだろうか」と思うほどついていることですが、こうなるとここで一度も文楽の公演を見なかったのが一層悔やまれます。舞台装置の説明を聞いていても、「あの時のあれか」ってな具合に結びつかないのが残念でしたが、貴重な機会だったことに変わりはありません。
 で、法善寺近くの居酒屋で懇親会。この会も多士済々、学校の先生、和尚さん、司書と、職業もバラエティに富んでいる。在阪当時に知り合っていたら、どれほど楽しかったかとの思いがしなくもないほど。 飛び入り参加は僕だけではなかったようでしたが、驚いたことに別のグループとの合同懇親会でもあり、ステージで釈文を披露してくれた琵琶盲僧の永田法順さんまでやってきたのでした。どうなってんだかさっぱりわからないけど、ともかくも貴重なひととき、最後は法順さんの黒田節まで聴かせてもらい、心地よい混沌ぶりに酔わせていただいたのでした。
 後は御堂筋線で新大阪に行き、東京行き最終の「のぞみ」に乗るばかり。しかし、淀屋橋を過ぎた辺りで意識を失い、目が覚めた東三国でも降りられす、江坂まで来てしまった。最終に間に合わないかと焦りましたが、新大阪に戻ってどうにかセーフ。今度は安心して眠りについた。
 目が覚めたのは、たぶん名古屋を過ぎた辺り。後ろの席には言葉を覚える盛りの子供と母親が座っているらしく、楽しそうに話していました。
 「幸せそうだな」と思いつつ、またしてもまどろみ、次に目が覚めたのは三島の手前。親子の話は相変わらず弾んでいるのですが、確かさっきは日本語だったのに、英語に変わっている。小用に立つついでに後ろの客を確かめると、外国人の親子だった。なるほど。
 FBUNKAのオフで方言と標準語が話題になり、参勤交代で方言が通じない不便さをなくそうとしたことが標準語の成り立った由縁との説を聞きましたが、それとはちょっと違うものの、こうしてバイリンガルの子が育つ場を見られたのは、一種の怪電波的状況かもしれないと思ったのでした。
 でも、それだけでは終わらなかった。
 この親子、品川で降りるらしく、新横浜を過ぎると、車掌に「Shinagawa,next?」としきりに確認していた。で、品川駅に着くと、大きなスーツケースを二つ引いて乗車口に向かおうとするのだけど、どうも直前に飲んでいた缶チューハイがこたえたのか、母親の足もとが覚束ない。
 心配する周囲の客と僕。親子はどうにか車両の先頭にたどり着き、通路の自動ドアも閉まった。しばらくして新幹線が動き始めた途端、聞こえてきたのは子供の泣き声。そしてパニックになって英語で喚き、元の席へ駈けて来る坊や。
 凍り付く車内。
 幸い、親子泣き別れの最悪の事態ではないとわかってホッとしたものの、車内には(この親子にはかかわりたくないなぁ)という空気がすでに充満していた。恥ずかしながら僕もそう。昼間ならともかく、もはや総武線だって終電だしなぁ。
 東京駅のホームに入っても誰も席を立たない。何も知らずに反対側の車両から出てきた青年が、母親に捕まってしまった。困惑しつつも何とか誠実に対応している様子を見て、僕のいた車両の乗客は皆、そそくさと下りてしまったのでした。
 親子のそばを通った時、坊やが母親に「何でおりなかったの」と日本語で文句を言っているのが、妙に耳に残った。
by maruyamamasaki | 2007-09-14 21:43 | 大阪市


<< 「祈りのかたち」 その後のあれこれ(2) >>