人気ブログランキング | 話題のタグを見る

八犬伝のモデルとは

八犬伝のモデルとは_a0010524_14355.jpg 6月19日(土)
 読売新聞(大阪版)の木曜朝刊に「寺社だより」というコーナーがあります。17日付に、千葉県で育った者としては注目すべき記事が出ていました。明石市の雲晴寺で19日、南総里見八犬伝のモデルとなった江戸期の大名、里見忠義の法要が営まれるという。
 今、40歳代前半の世代は、小学生から中学生にかけての時期、NHKで放映した人形劇「新八犬伝」に夢中になった人が多いと思います。僕もそうです。10年ほど前、千葉県市川市に住んでいた時のアパートの大家さんが滝沢馬琴の子孫で、八犬伝とは不思議な縁?もありました。
 しかし、モデルがいたとは知らなかった。記事によれば、里見忠義は十代目の藩主でしたが、姻戚の小田原城主が失脚したあおりで安房から伯耆・倉吉に国替えさせられ、失意のうちに29歳で死去。その3か月後に家臣8人が殉死したとのこと。
 忠義の妻・桃源院が弟の明石藩主に身を寄せ、亡夫を偲んで石碑を建てたのが、この雲晴寺。3年前に石碑の由来が判明してから、忠義の命日に関係者が集まっているそうです。
 行って見ると、外向けの行事ではなさそう。となると、人が集まっている忙しい時に「石碑を見せてください」と頼むのもはばかられたので、今回は場所確認のみで引き返すことに。
by maruyamamasaki | 2004-06-20 14:05 | 兵庫県


<< 大洞弁財天 明石城・巽櫓の公開 >>