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石火矢町ふるさと村

 11月4日(金)
 備中松山城から車で下山?してきて、実際に政務を執っていた麓の御根小屋御殿跡(今は県立高梁高校の一部)辺りでタクシーを降り、JR備中高梁駅までぶらぶら歩く。
 この辺は武家屋敷や商家が残り、白壁が続く町並みがなかなか美しい。醤油製造販売業で利を成した旧池上邸(商業資料館)、武家屋敷の旧折井家・旧埴原家、頼久寺、明治期の尋常高等小学校を利用した郷土資料館を覗いて歩いた。
 展示もなかなか工夫しています。折井家では玄関を上がると控えている下男?の人形が両手をついて挨拶するし、埴原家は襖の一部をあえて破り、裏張りに手紙の反古を使っていた様子を示しています。頼久寺にはこの地を治めていた小堀遠州作の見事な庭があり、郷土資料館はかつての生活用具が雑然と並ぶ中に昭和天皇の御真影がかつてあったであろう場所に飾られている、といった具合。
 山を切り崩して造成した団地で育った身としては、こういう歴史の豊かな町を故郷とする人が羨ましいですねぇ。
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 武家屋敷・旧埴原家の柿の木が青空と白壁の町並みに映える秋の一日でした
by maruyamamasaki | 2005-11-06 00:56


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